最初に
本シリーズは、「脈診を科学する」という問いを軸に、35年にわたる研究の歩みを6回連載で紹介します。各回では、その時代に実際に起きた出来事と、そこで生まれた人間関係、そして生み出されたテクノロジーを対応させながら整理しています。ソニー脈診研究所での臨床と工学の融合、研究所解散後のMIラボ創業、脈診を再現しないという方向転換、五行演算の確立、そして五行ドクターとしての社会実装まで。「脈診を科学する」という試みが、どのように形を変えながら受け継がれてきたのかをたどります。その第2回目の記事となります。
「脈診の達人」が韓国から来日
「脈診を科学する」という試みが、本当に成立するのか。
それを左右したのは、センサーでも演算でもなく、
“本物の脈診を知っている人物が研究の現場にいたかどうか”だった。
その人物こそが、韓国から来日していた漢方医、
白熙洙(ペク・ヒス)医師である。
高島は白医師について、はっきりとこう語っている。
「とにかく、ものすごく脈が読める人でした。いわゆる“脈診の達人”です」
白医師は理論家ではなく、徹底した臨床家だった。
机上で説明するよりも、まず人の身体に触れ、脈を診る。その結果を、淡々と言葉にする。
研究所では、測定データが並べられ、波形や数値が表示される。
その横で白医師は、脈に触れながらこう言う。
「今日は沈んでいます」
「左右で、流れが違います」
その一言が、センサーの位置や圧迫条件、解析アルゴリズムの修正に直結した。
脈診研究所は、机上の理論ではなく、臨床の感覚と工学的測定が往復する現場だった。

白熙洙(ペク・ヒス)医師とはどんな医師?
白医師は、韓国では「脈診学会 常任顧問」を務めた人物として知られ、1990年代の韓国経済新聞では、70代にしてなお現役で臨床に立つ「脈診の大家」「大成者」と評されている。
白熙洙医師を特徴づけていたのは、肩書きではない。
研究所の現場で、毎日、黙々と脈を診続けていたことだった。
理論を語る前に、必ず人の身体に触れる。
数値を見る前に、必ず自分の指で確かめる。
彼の特筆すべき点は、脈診を名人芸として閉じなかったことにある。
自身の感覚を絶対視せず、「なぜそう診るのか」「どこに変化が現れているのか」を言語化し、後進に伝えようとした。
さらに白医師は、人の感覚に頼りがちな脈診を客観的に捉えるため、電子脈診器の開発にも取り組んでいた。
脈の変化を物理量として捉え、数値として扱う試みであり、日本や米国での特許取得も報じられている。
この姿勢は、高島の研究思想と強く重なっていた。
「測れるところまで測る。意味づけは後でいい」
工学と東洋医学が、同じテーブルについた場所
ソニー脈診研究所には、高島を中心とする工学系研究者だけでなく、白医師を含む10数名の医師・医療スタッフが参加していた。白医師の横には、女性看護師や医療スタッフが立ち会い、患者の体調や前日の様子を静かに補足していた。
測定は工学側が行う。
センサーを当て、圧を変え、脈波を取得する。
その場で白医師が、実際に脈を診る。
「これは沈んでいます」
「今日は疲れが強いですね」
その言葉を受けて、
「この圧のかけ方は違うかもしれない」
「測定時間を延ばそう」
と、その場で条件が修正される。
臨床の言葉が、即座に設計仕様へ反映される。
それが、脈診研究所の日常だった。
工学的にはきれいなデータが取れても、白医師の脈診と一致しなければ、その測定方法自体が疑われた。
数値が先にあるのではない。脈診の現実が先にあり、数値はそれを追いかけるものだった。
白熙洙医師と井深大の関係
こうした研究体制が成立していた背景には、白熙洙医師と井深大との個人的な関係があった。
1979年、パリでの学術発表をきっかけに二人は出会い、井深は白医師の診断力に強い関心を示したとされている。
この関係は、企業としてのソニーではなく、井深大個人との信頼関係に基づくものだった。
井深が問い続けていたのは、「人間の状態を、技術でどこまで扱えるのか」という問題だった。
医学でも宗教でもなく、測定と理解の問題として。
白医師は、その問いに対して、臨床の現場から答えを示していた人物だった。
こうして、
井深大の問題意識、
白熙洙医師の臨床哲学、
高島充の工学的執念、
この関係性は、単なる共同研究ではない。
「人間をどう測るか」という問いが、
思想・臨床・工学の三方向から共有された、稀有な場であった。
「脈診を科学する」という言葉の実感
研究所のスローガンは、「脈診を科学する」だった。
それは、東洋医学を証明するという意味ではない。
漢方医の経験知
医師の臨床感覚
工学者の測定と解析
この三つを、同じ現場で突き合わせるという意味だった。
一致するところもあれば、食い違うところもある。
そのズレこそが、研究対象だった。
高島は、脈診を信じるかどうかという立場を取らなかった。
測れる可能性があるなら、測ってみる。
否定も肯定も、その後でよい。
白医師もまた、感覚を神秘化しなかった。
「この脈は今は取らない」
「少し時間を置く」
その判断が、測定結果にどう影響するかを、高島は黙って記録し続けていた。
閉鎖となったソニー脈診研究所
ソニー脈診研究所には、高島を中心とした工学系研究者だけでなく、白医師を含む10数名の医師・医療スタッフが参加していた。
脈診研究はここで初めて、「実在の身体」に根ざした研究として形を持つ。
しかし、1990年代後半、ソニーは「選択と集中」という経営方針を明確に打ち出す。
その流れの中で、脈診研究所は整理対象となり、組織としての役割を終えることになる。
研究内容が否定されたわけではなかった。
だが、企業としての優先順位は別の場所に移りつつあった。
研究所は終わる。
だが、高島にとって重要だったのは、組織が終わることと、テーマが終わることは別だという点だった。
白熙洙医師をはじめ、医師・医療スタッフと共に積み上げてきた研究によって、「脈診を測定できる」という確かな手応えは残った。
研究は、ここで終わらなかった。
終わらせなかった。
白熙洙医師が示した「感覚を言葉にする姿勢」は、高島の中に確かに残り、
やがて五行という枠組みを通して、演算へと引き継がれていく。
この問いが、高島とSONY関係者のMIラボの創業、そしてさらに20数年を経て五行ドクターの開発へと続いていく。
――脈診を科学する 五行ドクター開発の系譜3へ続く
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◎ 高島式地震予知の記事一覧:https://liquiddesign.co.jp/category/blog/earthquake/
注意事項
本記事は、高島充氏への直接インタビュー内容を主軸に、『人間 井深大』(島谷康彦 著)、高島氏が発表した複数の学術論文、株式会社リキッド・デザイン・システムズが保有する技術資料、ならびに白熙洙(ペク・ヒス)医師に関する国内外の公開記事・文献情報を参考に構成しています。記載内容は、インタビュー時点での発言や当時公開されていた資料・報道に基づいて整理したものであり、関係者の記憶や認識、時代背景の違いにより、事実関係の解釈や表現に一部差異が生じる可能性があります。本記事は特定の人物・研究・技術を断定的に評価することを目的とするものではなく、研究史・技術史を伝える記録としてご理解ください。

