最初に

本シリーズは、「脈診を科学する」という問いを軸に、35年にわたる研究の歩みを6回連載で紹介します。各回では、その時代に実際に起きた出来事と、そこで生まれた人間関係、そして生み出されたテクノロジーを対応させながら整理しています。ソニー脈診研究所での臨床と工学の融合、研究所解散後のMIラボ創業、脈診を再現しないという方向転換、五行演算の確立、そして五行ドクターとしての社会実装まで。「脈診を科学する」という試みが、どのように形を変えながら受け継がれてきたのかをたどります。その6回目最終回の記事となります。

技術はあったが、時代がなかった

2013年、脈診解析と五行演算の基礎技術は、株式会社リキッド・デザイン・システムズへと引き継がれた。
だが、引き継がれたのは技術そのものではない。

それは、1989年に井深大が投げかけた
「人間の状態を、技術でどこまで扱えるのか」という問いそのものだった。

同社は高島充を技術顧問に迎え、彼が長年にわたり発明してきた複数の技術を、段階的に社会実装していく。

ベビーセンサー。
介護センサー。
コロナ禍において試作された簡易的な遠隔IoT呼吸センサー。
いびきセンサー、睡眠センサー。

いずれも共通していたのは、「人間の状態を、非接触で捉える」という思想である。
呼吸、体動、リズム。
目に見えず、言葉にもしにくい身体の変化を、測定と記録の対象へと引き寄せる技術群だった。

さらに3.11以降続けている超微弱な地殻振動である地震の「前兆波」を捉える“高島式地震予知”。

だが、その中で、五行アルゴリズムだけは違っていた。

技術としては、すでに成立していた。
演算モデルも、再現性も、理論的な裏付けもあった。
それでも、それは使われなかった。

理由は明確だった。
それを「必要だ」と感じる社会の側が、まだ存在していなかったからである。

当時、健康管理は医療機関の領域だった。
個人が日常的に自分の状態を測り、振り返り、整えるという発想は、一般的ではなかった。
血圧は測っても、その数値をどう解釈すればよいか分からない。
ましてや、その背後にある循環の偏りやバランスに目を向ける文化はなかった。

体調は、突然崩れるものではない。
日々の小さな変化の積み重ねとして現れる。

この当たり前の事実が、ようやく社会の共通認識になり始めた。

五行アルゴリズムが必要としたのは、
高度な医療制度ではなく、
「自分の体調を自分で知る」というセルフメディケーションの考えだった。

結果として、五行アルゴリズムは、生まれてから約4分の1世紀にわたり「使われない技術」として眠っていたことになる。

社会の側が変わり始めた

状況が動き始めたのは、2020年代前半だった。
コロナ禍を経て、人々の意識は大きく変わった。

体調は、突然崩れるものではない。
日々の小さな変化の積み重ねとして現れる。
その変化に、どれだけ早く気づけるか。

企業の側では、健康管理の重要性が再認識され、
個人の側でも、自分の状態を可視化し、未然に整えるという意識が広がっていった。
健康経営という言葉は、単なるスローガンではなく、
具体的な仕組みや運用として語られるようになる。

こうした社会的な変化と重なる形で、
2023年、高島が開発してきた五行アルゴリズムは、
血圧アプリ「Ketsuatu plus」として、初めて社会に姿を現した。

1989年、井深大の呼びかけで脈診研究が動き出してから、34年後のことである。

重要なのは、これが「技術が完成したから起きた」のではない、という点だ。
技術は、ずっと前からあった。
それを受け止める社会の条件が、ようやく整い始めたのである。

さらに同年、神奈川県のDX事業にも採択され、
五行アルゴリズムを社会につなぐための実証環境が整い始めた。
ここから先、五行アルゴリズムは
「研究の成果」から「使われる仕組み」へと、段階を進めていく。

社会実装としての五行ドクター

Ketsuatu plusでの実証を経て、
2024年、この仕組みは「五行ドクター」というクラウド脈診アプリとして実装された。

五行ドクターは、専門家向けの研究成果を、そのまま一般に提供するものではない。
毎日の血圧測定という、すでに生活に根づいた行為を入口に、
自分の身体の状態を振り返るためのセルフケア・ツールとして設計されている。

ここで、あえて選ばれた立場がある。
それは、「診断しない」という立場だった。

五行ドクターは、答えを与えるアプリではない。

それは、問いを持ち続けるための装置である。

今日の数値が何を意味するのか。
昨日との違いはどこにあるのか。

その変化に気づくための、セルフメディケーションの立ち位置である。

それは、脈診研究が35年間、
一度も手放さなかった立ち位置でもあった。

三人の視点が重なったアウトプット

五行ドクターは、突然生まれたアプリではない。

井深大は、
「人間の状態を、技術でどこまで扱えるのか」
という問いを投げ続けた。

白熙洙(ペク・ヒス)医師は、
その問いに臨床の現場から向き合い、
感覚に頼りがちな脈診を、言葉と再現性へと開いていった。

高島充は、その姿勢を工学として引き受け、
測定と演算へと接続した。

この三人の異なる立ち位置が重なった場所に、
「脈診を科学する」という試みが生まれ、
35年という時間を経て、
五行ドクターという形で、初めて社会と接続した。

もし井深大の問いがなければ、研究は始まらなかった。

もし白熙洙が臨床で言葉にしなければ、
脈診は感覚のまま閉じていた。

もし高島充が数値へと引き受けなければ、
それは技術にならなかった。

五行ドクターは、
三人の欠けても成立しない問いの連鎖の、
ただ一つの現時点の答えである。

「脈診」の研究は、どこまで続いたのか

1989年、井深大が高島充に声をかけたことから始まった脈診研究は、

ソニー脈診研究所、MIラボ、そしてリキッド・デザイン・システムズへと、

三つの組織をまたぎながら、35年という時間をかけて続けられてきた。

その結果、この研究は2024年、「五行ドクター」という一つの社会実装にたどり着く。

1990年代、ソニー脈診研究所では、
井深大が投げかけた問いに対し、

脈診の達人である白熙洙医師は、臨床の現場から知見を言語化していった。

高島充は、それを工学として引き受け、

測定と演算へと落とし込む役割を担っていく。

1999年、ソニー脈診研究所は役目を終える。
次にMIラボという新しい場がつくられ、
研究は細く、しかし確実に続けられた。

2013年、技術はリキッド・デザイン・システムズへと引き継がれる。
そこでは、高島がMIラボ時代に発明したVitalセンサー等の技術が次々と社会実装されていった。
その一方で、五行アルゴリズムは、長い間、表に出ることがなかった。

そして2023年。
血圧アプリ「Ketsuatu plus」として、
研究は初めて一般の人の手に届く形を得た。
翌2024年、五行ドクターとして本格的な社会実装が始まる。

35年の間に、
研究の場も、組織も、関わる人も変わった。
だが、「脈診を科学する」という問いだけは、
常に事業判断と引き受けの決断を伴いながら、途切れずに受け渡されてきた。

現在、高島は地震予知研究を含む別の分野でも、
Vitalセンサーを応用し、地震前兆波を計測する研究を続けている。
対象やテーマは異なっても、
測定と記録を積み上げ、演算として成立させるという姿勢は変わらない。

脈診研究も、五行ドクターも、
その姿勢が35年にわたって積み重なった結果である。
研究は一直線に進んだわけではない。
だがこの技術と問いは、次の成長フェーズを担う組織が必要としている。

「脈診を科学する 五行ドクター開発の系譜」シリーズ6記事をお読みいただき、ありがとうございました。バックナンバーはこちらから閲覧できます。
https://liquiddesign.co.jp/category/blog/me-byo/

五行ドクターの紹介: https://liquiddesign.co.jp/technology-line/gogyo-doctor/

※五行ドクターはセルフケア支援を目的としたアプリであり、医療機器ではありません。診断や治療が必要な場合は、必ず医師に相談してください。

◎ 高島式地震予知の記事一覧:https://liquiddesign.co.jp/category/blog/earthquake/

注意事項 

本記事は、高島充氏への直接インタビュー内容を主軸に、『人間 井深大』(島谷康彦 著)、高島氏が発表した複数の学術論文、株式会社リキッド・デザイン・システムズが保有する技術資料、ならびに白熙洙(ペク・ヒス)医師に関する国内外の公開記事・文献情報を参考に構成しています。記載内容は、インタビュー時点での発言や当時公開されていた資料・報道に基づいて整理したものであり、関係者の記憶や認識、時代背景の違いにより、事実関係の解釈や表現に一部差異が生じる可能性があります。本記事は特定の人物・研究・技術を断定的に評価することを目的とするものではなく、研究史・技術史を伝える記録としてご理解ください。