最初に
本シリーズは、「脈診を科学する」という問いを軸に、35年にわたる研究の歩みを6回連載で紹介します。各回では、その時代に実際に起きた出来事と、そこで生まれた人間関係、そして生み出されたテクノロジーを対応させながら整理しています。ソニー脈診研究所での臨床と工学の融合、研究所解散後のMIラボ創業、脈診を再現しないという方向転換、五行演算の確立、そして五行ドクターとしての社会実装まで。「脈診を科学する」という試みが、どのように形を変えながら受け継がれてきたのかをたどります。その第3回目の記事となります。
東洋医学でも、超能力でもなかった“エスパー研究所”
ソニー脈診研究所が存在していた同じ時期、
社内にはもう一つ、極めて異質な研究組織があった。
“エスパー研究所”である。
その発端は、1980年代後半、ソニーのディジタル・オーディオ研究者であった佐古曜一郎が、
「21世紀はヒューマン・サイエンスの時代になる」として、
社内で人間の能力と意識を扱う研究を行いたいと、井深大に直接提案したことに始まる。
井深はこの提案を即座に肯定したわけではない。
ただし、「気を研究するならば」という条件のもとで、研究の開始を認めた。
1991年のことである。

高島充がソニー在籍時に立ち会った二つの研究所は、表面的にはまったく異なる分野に見えた。しかし彼自身の中では、どちらも「人間の状態を、どこまで測定できるのか」という同じ問いにつながっていた。一方は、漢方医や医師と共に脈を測り、身体の状態を技術として扱おうとした研究所。
もう一方は、「人間の能力はどこまで拡張され得るのか」という問いを、超常現象の境界線で扱っていた研究所。
この二つの研究所は、テーマも手法もまったく異なっていた。
だが、高島充にとっては、どちらも「同じ問いの延長線上」に存在していた。
エスパー研究所を率いていたのは、佐古曜一郎である。
高島は、その正式メンバーではなかったが、実験を見学する立場として現場に立ち会っていた。
超能力を信じないが、否定もしない
エスパー研究所で高島が目にしたのは、
「超能力の実在を証明する」ことを目的とした実験ではなかった。
研究の初期段階では、気に関する身体反応の観測が中心であり、
その後、透視やテレパシーといった現象についても、
「どのような生理変化が伴うのか」を記録する方向で研究が進められていった。
例えば、ある20代の女性被験者が極度の集中状態に入ると、
血圧が200を超えるほど急激に上昇する。
脈拍が変わり、自律神経の状態が明らかに変化する。
質問:超能力を信じていたのですか。
高島:
「起きている生理現象を観測した、それだけです」
高島は、超能力の存在を肯定したわけではない。
しかし同時に、「あり得ない」と切り捨てることもしなかった。
重要だったのは、それが何と呼ばれるかではなく、
人間の身体に、実際に何が起きているのかだった。
このとき高島が強く意識していたのは、「現象を先に見る」という姿勢だった。
それは後に、東洋医学という既存の体系を前にしたときも、まったく同じ態度として現れることになる。
血圧が上がる。
脈が変わる。
生理反応が変化する。
それらはすべて、測定可能な「現象」である。
この距離感は、研究所全体を統括していた井深大の姿勢とも重なっていた。
井深は、科学と非科学の境界をあえて閉じなかった。
否定もしないが、信仰もしない。
「ただ、測れるものは測る。」それだけであった。
脈診研究所という、もう一つの極端な現場
一方、脈診研究所では、まったく別の「異質さ」が存在していた。
そこにいたのは、工学者だけではない。
韓国から来日した漢方医・白熙洙(ペク・ヒス)医師を中心に、
医師や看護師など、総勢10数名の医療スタッフが研究に参加していた。
測定が始まると、高島たち工学側がセンサーを当て、波形を取得する。
同時に、白医師が被験者の脈を実際に診る。
「これは沈ですね」
「今日は疲れが強い」
その言葉を受けて、
「じゃあ圧のかけ方を変えよう」
「測定時間を延ばそう」
と、その場で条件が修正される。
臨床の感覚が、即座に設計仕様へ反映される。
机上の理論ではない。
臨床と工学が、同じ場所でぶつかり合う現場だった。
白医師は、感覚を誇示することはなかった。
むしろ「自分がどう感じたか」よりも、「今、何が変わっているか」を周囲に共有しようとする姿勢を貫いていた。
エスパー研究所と脈診研究所に共通していたある姿勢
エスパー研究所と脈診研究所。
テーマは正反対に見える。
だが、高島の中では、共通点がはっきりしていた。
どちらも、「信じるかどうか」を先に決めていなかった。
超能力を証明しようともしない。
東洋医学を正当化しようともしない。
ただ、
起きている現象を、否定せずに観測する。
その姿勢だけが、両研究所に共通していた。
そして、その姿勢は、井深大が一貫して示してきた「技術は、人間を理解するためにある」という考え方と重なっていた。
両研究所の終わり、そして次の選択へ
この時期、10年近く積み重ねてきたデータ、開発して学術論文まで発表した脈診測定の試作器、こうして脈診研究所は、技術的にも人材的にも成熟期を迎えてた。しかし、ソニー全体では経営方針の転換が進み、研究所は次第に整理対象として扱われるようになる。研究は成果を出し始めていたが、企業としての優先順位は別の場所に移りつつあった。
1997年前後、ソニーは経営方針として「選択と集中」を明確に打ち出した。
その流れの中で、井深大の死去という象徴的な出来事を契機に、
井深の個人的な判断と支援によって存続していた研究領域は、
組織としての後ろ盾を失っていった。その流れの中で、脈診研究所は整理対象となった。
研究内容が否定されたわけではない。
だが、「今のソニーがやることではない」という判断が下された。
高島は、当時のCEOに対し、医療事業としての継続を直接訴えている。
しかし結果は却下だった。
質問:そのとき、どう思いましたか。
高島:
「研究が間違っている、という話ではありませんでした」
組織は終わった。
だが、テーマは終わっていなかった。
エスパー研究所も、同じ時期に同様にその役割を終えていく。
どちらの研究所も、企業の中では居場所を失った。
だが、高島の中で、一つだけはっきりしていたことがある。
質問:研究所がなくなったあと、どう考えましたか。
高島:
「組織は終わりました。でも、テーマは終わっていませんでした」
人間の状態を、感覚ではなく記録と比較で扱うという発想は、高島の中でむしろ輪郭をはっきりさせていった。
研究は、終わるのか。
それとも、別の形で続くのか。
その答えが出るのは、もう少し先のことになる。
――脈診を科学する 五行ドクター開発の系譜4へ続く
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※五行ドクターはセルフケア支援を目的としたアプリであり、医療機器ではありません。診断や治療が必要な場合は、必ず医師に相談してください。
◎ 高島式地震予知の記事一覧:https://liquiddesign.co.jp/category/blog/earthquake/
注意事項
本記事は、高島充氏への直接インタビュー内容を主軸に、『人間 井深大』(島谷康彦 著)、高島氏が発表した複数の学術論文、株式会社リキッド・デザイン・システムズが保有する技術資料、ならびに白熙洙(ペク・ヒス)医師に関する国内外の公開記事・文献情報を参考に構成しています。記載内容は、インタビュー時点での発言や当時公開されていた資料・報道に基づいて整理したものであり、関係者の記憶や認識、時代背景の違いにより、事実関係の解釈や表現に一部差異が生じる可能性があります。本記事は特定の人物・研究・技術を断定的に評価することを目的とするものではなく、研究史・技術史を伝える記録としてご理解ください。

