最初に

本シリーズは、「脈診を科学する」という問いを軸に、35年にわたる研究の歩みを6回連載で紹介します。各回では、その時代に実際に起きた出来事と、そこで生まれた人間関係、そして生み出されたテクノロジーを対応させながら整理しています。ソニー脈診研究所での臨床と工学の融合、研究所解散後のMIラボ創業、脈診を再現しないという方向転換、五行演算の確立、そして五行ドクターとしての社会実装まで。「脈診を科学する」という試みが、どのように形を変えながら受け継がれてきたのかをたどります。その第4回目の記事となります。

人間を測ろうとした二つの研究所

ソニーには、かつて二つの異質な研究所が存在していた。
いずれも共通していたのは、「人間の状態を、技術でどこまで扱えるのか」という問いを真正面から扱おうとしていた点である。

一つは、超能力や「気」といった、当時の科学では説明しきれない現象を対象としたエスパー研究所。
人が極度の集中状態に入ったとき、身体にどのような生理変化が起きるのか。
血圧や心拍、脳の反応を通じて、人間の限界状態を観測しようとした研究だった。

もう一つが、東洋医学の脈診を工学的に扱おうとした脈診研究所である。
熟練した漢方医が「感覚」で捉えてきた脈の変化を、センサーと数値によって記録し、再現可能な技術として扱えないか。

それでも存在し得たのは、ソニー創業者・井深大が、生前一貫して「人間そのものを理解する技術」に強い関心を持ち続けていたからだった。

そしてこの二つの研究所を、技術者として内側から横断的に見続けていた人物が、高島である。
彼にとって、これらの研究は「異端」ではなく、むしろ同じ問いの異なる表現形だった。

ソニートップの経営判断としての「終了」後も研究は終わらなかった

やがて時代は変わる。
1990年代後半、ソニーは「選択と集中」という経営方針を明確にし、研究開発の軸足をエンタテインメントや半導体へと移していく。
その流れの中で、エスパー研究所も、脈診研究所も、組織としては幕を閉じることになる。

研究所という形は、ここで一度、終わった。
しかし、そこで扱われていた問い――
「人間の状態を、技術でどこまで扱えるのか」というテーマそのものが、消えたわけではなかった。

ソニー脈診研究所が解散したとき、

高島の中で「一区切りがついた」という感覚はなかった。

研究所という組織は終わった。しかし、そこで扱っていたテーマ――脈診で起きている現象を、技術としてどう扱うか――は、まだ途中だった。

高島はこの判断を、研究内容の否定とは受け取らなかった。
「やる価値がない」のではない。「今のソニーがやることではない」。
その違いは、高島にもはっきり理解できていた。

医療・健康分野としての可能性をCEOに直接説明し、事業として継続する道も模索した。しかし結果は却下だった。経営判断としての終了。その事実は変わらなかった。

高島にとって、この決定は「負け」でも「失敗」でもなかった。
むしろ、企業の論理と研究の時間軸が、ここで初めてはっきりと分かれた瞬間だった。

ソニーの三人で引き継いでMIラボを創業

研究所は解散した。人も散り、設備も失われる。
だが、10年近く蓄積してきたデータ、試作器、測定ノウハウ、失敗の記録は残っていた。

高島の中では、研究所という「組織」が終わっただけで、「テーマ」は終わっていなかった。
脈診研究は企業の中で生まれたが、企業の中だけで完結する研究ではない。続けるには、場所を変えるしかない。そう考えたとき、高島の中にはすでに「独立する」という選択肢しか残っていなかった。

MIラボは、高島一人の研究所として生まれたわけではない。創業メンバーは三人だった。

一人は、元ソニー専務の中島平太郎。
ウォークマンをはじめ、研究を事業に転換する難しさを誰よりも知っていた人物である。

一人は、高島充。
脈診研究の中心人物として、研究が「途中で終わる」ことに強い違和感を持ち続けていた。

そしてもう一人が、井深亮
ソニー創業者・井深大の子息であり、父が生涯持ち続けた「数値化できない領域にも、技術で向き合う姿勢」を研究として引き継ぐ立場にあった。

三人に共通していたのは、理想論ではなく、研究を現実に残すための判断だった。
一人では続かない。企業でも続かない。
だからこそ、三人という最小単位が選ばれた。

MIラボという名前の意味

1999年、株式会社エム・アイ・ラボ(MIラボ)が設立される。
「MI」という名称は、ソニー創業者・井深大(Masaru Ibuka)のイニシャルに由来している。

井深は、生前一貫して「技術は人間を理解するためにある」と語ってきた。
医療や生命に関わる分野についても、短期的な事業性より、人間そのものに向き合う姿勢を重視していたことが、後年の証言からも読み取れる。

MIラボという名前は、単なる敬意の表明ではない。
企業の枠組みの中では続けられなかった研究を、規模を縮めても、形を変えてでも続けるという意思表示だった。

派手な成果を急がない。
社会にすぐ理解されなくても、途中でやめない。
測れるところまで測り、分からないことは分からないまま記録し続ける。

MIラボは、研究を前に進めるための拠点であると同時に、井深が残した「人間を測る技術」という問いを静かに引き継ぐ場所でもあった。

その問いはやがて、「脈診そのものを再現する」という発想から決別する方向へとつながっていく。

脈診を「再現」しないという決断

MIラボでの研究は、ソニー時代の脈診研究をそのまま引き継ぐものではなかった。
高島は、ある段階で明確に方向を切り替える。
中医学の達人レベルの医師しか行えない「脈診」そのものを再現しようとするのをやめたのだ。

理由は単純だった。
脈診は、熟練した医師の身体感覚に強く依存する。
それをそのまま数値化しても、再現性も拡張性も持たない。

高島が選んだのは、脈診で得られていた身体情報を、演算モデルとして再構成するという道だった。

それは、これまで積み上げてきた研究の前提を、自ら転換する決断でもあった。

そして、この決断が後で五行ドクターの演算モデル開発のきっかけとなった。

五行という「枠組み」を演算に落とす

そこで用いられたのが、東洋医学の五行思想――木・火・土・金・水である。
五行は、身体の五臓(肝・心・脾・肺・腎)を対応関係として象徴的に表した枠組みだ。

五行は診断理論ではない。
身体を固定的に評価するものでもない。
個々の臓器を単独で見るのではなく、関係性とバランスを見るための座標系である。

高島は、この五行を思想としてではなく、演算のフレームワークとして捉え直した。
血圧、脈波、左右差、変動幅。
測定可能なデータを入力とし、五行それぞれの状態を相対的なバランスとして数値化する。

「正常」「異常」を断定しない。
どこが過剰で、どこが不足しているかを示す。
その考え方が、後の五行ドクターの演算アルゴリズムへとつながっていく。

五行は診断理論ではない

MIラボでは、すぐに製品化を目指したわけではなかった。
脈診研究は、専門家が扱うからこそ成立する側面が大きく、そのままでは一般の人に開かれた技術になり得なかったからである。

高島が向き合っていたのは、「脈診を再現すること」ではない。
脈診で得られていた身体情報を、別の形で翻訳することだった。

五行は、そのための枠組みとして選ばれた。
身体の状態を、正誤ではなく、相互関係として捉えるためのモデルである。

どこに偏りがあり、どこが不足しているかを示す。
それは診断ではなく、本人が自分の状態を理解するための補助線だった。

そしてこの考え方が、次の段階で「社会に実装される技術」へと姿を変えていく。

――脈診を科学する 五行ドクター開発の系譜5へ続く

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※五行ドクターはセルフケア支援を目的としたアプリであり、医療機器ではありません。診断や治療が必要な場合は、必ず医師に相談してください。

◎ 高島式地震予知の記事一覧:https://liquiddesign.co.jp/category/blog/earthquake/

注意事項 

本記事は、高島充氏への直接インタビュー内容を主軸に、『人間 井深大』(島谷康彦 著)、高島氏が発表した複数の学術論文、株式会社リキッド・デザイン・システムズが保有する技術資料、ならびに白熙洙(ペク・ヒス)医師に関する国内外の公開記事・文献情報を参考に構成しています。記載内容は、インタビュー時点での発言や当時公開されていた資料・報道に基づいて整理したものであり、関係者の記憶や認識、時代背景の違いにより、事実関係の解釈や表現に一部差異が生じる可能性があります。本記事は特定の人物・研究・技術を断定的に評価することを目的とするものではなく、研究史・技術史を伝える記録としてご理解ください。