最初に

本シリーズは、「脈診を科学する」という問いを軸に、35年にわたる研究の歩みを6回連載で紹介します。各回では、その時代に実際に起きた出来事と、そこで生まれた人間関係、そして生み出されたテクノロジーを対応させながら整理しています。ソニー脈診研究所での臨床と工学の融合、研究所解散後のMIラボ創業、脈診を再現しないという方向転換、五行演算の確立、そして五行ドクターとしての社会実装まで。「脈診を科学する」という試みが、どのように形を変えながら受け継がれてきたのかをたどります。その第5回目の記事となります。

脈診解析と五行演算の継承

1989年、井深大が高島充に直接声をかけたことをきっかけに、「脈診を科学する」という研究は、非公式な形で静かに動き始めた。
それは、最初から明確な事業計画や出口を持った研究ではなかった。むしろ、「感覚として語られてきた脈診の中で、実際には何が起きているのかを、技術として扱えないか」という、極めて個人的で、しかし根源的な問いから始まっていた。

1991年、この試みはソニー社内で正式な研究テーマとして位置づけられる。
脈診研究は、熟練した医師の身体感覚に依存してきた領域を、測定と演算の対象に引き寄せようとする、当時としては異質な研究だった。成果がすぐに見えるものではなく、評価軸も曖昧だったが、それでも研究は続けられた。井深が問い続けていた「人間の状態を、技術でどこまで扱えるのか」という問題意識が、研究の背骨として存在していたからである。

1999年、ソニー脈診研究所は経営判断の中で終了する。
だが、ここで研究が終わったわけではなかった。研究を継続するための受け皿として、株式会社エム・アイ・ラボ(MIラボ)が設立される。
MIラボにあったのは、すぐに製品化できる完成技術ではない。脈診研究と五行演算は、まだ試行錯誤の途中にあり、社会の側にも、それを受け止める準備は整っていなかった。

この段階で、研究は初めて現実的な問いに直面する。
「この技術は、一般の人が使える形になり得るのか」。
脈診を再現すること自体が目的なのではない。脈診で起きている現象を、誰もが扱える形に翻訳できるのか。その問いが、研究の性質を少しずつ変えていった。

2013年、MIラボで蓄積されてきた脈診解析と五行演算の基礎技術は、株式会社リキッド・デザイン・システムズへと引き継がれる。高島は同社の技術顧問に就任し、研究は「社会実装を前提とした技術」として次の段階へ進むことになる。
振り返れば、この研究は一直線に進んできたものではない。組織が変わり、場所が変わり、評価の軸が変わるたびに、形を変えながら引き継がれてきた。それでも、「脈診で起きている現象を、技術として扱う」という問いだけは、途切れることがなかった。

血圧測定という入口で社会実装を考える

社会実装を考えるうえで、避けて通れなかったのが測定手段の問題だった。
脈診そのものは、熟練した医師の身体感覚に強く依存する。それをそのまま一般化することは、現実的ではない。そこで高島が着目したのが、血圧である。

血圧は思いつきの選択肢ではなかった。
脈波、心拍、左右差、変動幅といった血行動態の数値をどう組み合わせれば、身体全体の循環状態を表現できるのか。この試算は、MIラボ以前から何年も繰り返されてきたテーマだった。
血圧はすでに家庭に普及しており、日常的に測定できる数少ない生体指標である。同時に、脈の状態や循環の変化を間接的に反映する指標でもあった。

血圧を入口にすれば、専門的な知識や技術を前提とせず、日々の身体の変化を記録として残すことができる。この判断は、脈診の考え方を一般の人に開くための、大きな転換点だった。

五行という「枠組み」を演算に落とす

ただし、血圧はあくまで数値にすぎない。問題は、その数値をどう解釈するかだった。

五行の「木・火・土・金・水」という枠組みを演算に落とす

そこで用いられたのが、東洋医学の五行思想である「木・火・土・金・水」という枠組みである。

五行は、身体の五臓「肝・心・脾・肺・腎」を、固定的に診断するための理論ではない。個々の臓器を単独で評価するのではなく、それぞれの関係性やバランスを見るための座標系のような考え方である。
高島は、この五行を思想として扱おうとはしなかった。彼が注目したのは、五行が「関係性を扱うための枠組み」として極めて優れていた点だった。

血圧、脈波、左右差、変動幅。
測定可能なデータを入力し、それらを血行動態の近似値として演算し、五行それぞれの状態を相対的なバランスとして数値化する。
正常か異常かを断定しない。どこが相対的に過剰で、どこが不足しているかを示す。
血圧という単純な数値から、身体全体の循環状態を再構成する。その発想は、脈診研究と数理試算を長年往復してきた高島だからこそ到達できた地点だった。

この瞬間、五行は思想ではなく、演算アルゴリズムとして生まれ変わった。

特許化された演算モデルと、その意味

この演算モデルにたどり着くまでには、長い試行錯誤があった。
高島は脈診研究の初期段階から、血行動態をどう数値化するかを一貫して考え続けてきた。心拍、脈波、左右差、変動幅。これらをどう組み合わせれば、人体内の循環状態を定量的に表せるのか。

その過程で行き着いたのが、血圧測定値から血行動態値を演算的に導くという発想である。
血圧という、すでに社会に広く普及した指標を入口に、過去の脈診研究データと照合しながら、血行動態を近似的に再構成する。この考え方に基づいて構築された演算手法は、2024年、特許第7545774号として正式に認定されている。

この特許は、研究の終わりを示すものではない。
むしろそれは、「この考え方が、技術として他者に引き継げる段階に来た」ことを示す区切りだった。
五行ドクターは、この演算モデルを社会の中で使い続けるための、次の工程にすぎない。

ここまでで、この研究はひとつの到達点に立った。
技術は、すでにここにあった。
この先に続くのは、「なぜ、これほど長い時間が必要だったのか」という、社会の側の問題である。

――脈診を科学する 五行ドクター開発の系譜6へ続く

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◎五行ドクターの紹介: https://liquiddesign.co.jp/technology-line/gogyo-doctor/

※五行ドクターはセルフケア支援を目的としたアプリであり、医療機器ではありません。診断や治療が必要な場合は、必ず医師に相談してください。

◎ 高島式地震予知の記事一覧:https://liquiddesign.co.jp/category/blog/earthquake/

注意事項 

本記事は、高島充氏への直接インタビュー内容を主軸に、『人間 井深大』(島谷康彦 著)、高島氏が発表した複数の学術論文、株式会社リキッド・デザイン・システムズが保有する技術資料、ならびに白熙洙(ペク・ヒス)医師に関する国内外の公開記事・文献情報を参考に構成しています。記載内容は、インタビュー時点での発言や当時公開されていた資料・報道に基づいて整理したものであり、関係者の記憶や認識、時代背景の違いにより、事実関係の解釈や表現に一部差異が生じる可能性があります。本記事は特定の人物・研究・技術を断定的に評価することを目的とするものではなく、研究史・技術史を伝える記録としてご理解ください。